天井桟敷

食。映画。音楽。本。旅。そしてベタ。

古代エジプト展

土産にパピルス買っちゃいました。。。

「ホンモノのミイラみたことないじゃ―ん?」…コドモら誘っても誰ものってこないのでひとりプンプン出かける。
紀元前の装飾品や包帯に刻まれたヒエロやらを次々眺める。アクセサリーや埋葬品の細工にロマンを感じたが、木の棺などの木製品が今日まで朽ちずに保存できた古代の技術には単純に驚嘆。

途中いきなし展示照明を落とした空間が。いよいよ目玉のコドモミイラ近しの演出である。棺の上に置かれる石蓋を通り過ぎ、木棺を眺め、ついに人が鈴なりのミイラの前へ!!
……まわりの人達と一緒にジロジロ見ているうち…次第にいや~な気持ちに。勝手に墓を暴いて遺体を衆目にさらすって…なんかヤバくない?やっぱ死者に対する冒涜だよな―。ソレ自分とか身内のコドモに置き換えたらイヤでしょ。やっぱ。あ~後悔!!ごめんなさい。許してください。もうしませんから呪わないでくださいましね。
以前ミイラ作りに関する児童書を読んだことがある。
エジプトミイラは鼻から器具を入れて脳をスルスル取り出すという、神の手ブラックジャックも真っ青な手法をとる。

『くわしいやり方は現在もわかっていない。』としめくくられているくらい難易度の高い技術であったらしい。
ついでにその本には日本ミイラについても書かれており。
強い意思で僧侶が座ったまま土中(お約束の竹筒空気穴付き)に入り、10穀→5穀と徐々に食べ物を減らし最後は絶食。衰弱死した後に掘りおこされ、ろうそくの煙で何日も燻され。すっかり乾燥させて即身仏(ミイラ)に仕上げたらしい。当然空腹に耐えかね穴掘って逃げ出した者も多数いたらしいが、なんで死ぬためにそこまでがんばらなきゃならんね?果たしてジワジワ苦しむ過程に意味があるんでしょうか?こちらは究極の苦行を耐え抜いた高僧のシンボルとして寺に手厚く安置され、以降訪れる人々によってその姿は永劫崇められるのである。
そんなスゴイミイラが多数体あるらしい。山形や新潟に。